2009年7月23日
大スター石原裕次郎没
『太陽の季節』の映画化に際して、日活に原作使用を依頼された兄は弟の主演を条件に出していたが、すでに主演が長門裕之に決まっていたために、翌1957年に映画化された『狂った果実』に、人気が高くなっていた裕次郎が主演した。『狂った果実』はその衝撃的な内容と裕次郎の演技が話題を呼び、裕次郎の歌と共に大ヒットし、この作品以降裕次郎の人気は決定的なものとなった。川島雄三も「これからは彼の時代だ」と絶賛した。多忙のため1957年に大学を中退している。母は「大学を出るまでは学業に専念せよ」と望んでいたからである。
前年に裕次郎はテイチクと専属契約し、若者の"太陽"(カリスマ)であり歌う映画スターともなる。日本人として初めてLPレコードを出している。意外にも副業にも手を出していて四谷でステーキハウス「フランクス」を経営していたことがある。彼はあがり症だった為、車に乗ったとき自分の曲を音楽関係者が歌っているデモテープを聞き、彼なりの独特の歌唱方法を身に付けた。当日のうちに曲と詞を覚え、レコーディングスタジオをについたときには水の江の進言によりレコーディングの時は必ずビールを飲んだ。レコーディングの際ヘッドホンを生涯一度も付けなかった。またレコーディングは一回で成功したとも言われ、その後はすぐに忘れてしまうという。再度同じ曲に試みる場合は楽譜(詞入り)があれば思い出せるという。吹込みでは数多くのバンドのセッションをレコーディングでこなしてきた。彼はペン字も達筆で(手紙において多い)、英語も読み書きが出来たそう(映画・曲で随時流暢なアメリカ英語を披露している)である。
これ以降立て続けに主演映画がヒットし、ブームが起こる。庶民性が大衆に支持されたからである。客が殺到して、草履や羽織まで落ちていたという逸話もある。常に彼はファンからの声援にこたえるため「歌手ではない。俳優だ。」と言った。1959年には成城に豪邸を完成させ話題となった。 人気が絶頂を迎えた1960年に女優の北原三枝と結婚。裕次郎はデビューする前から北原のファンで、いくつかの映画で共演もしていた。当時、映画スター同士の結婚はタブーであったが、北原とアメリカへ逃避行を遂げ、日活の堀久作社長が二人の交際を認めて帰国した。結婚後の記者会見で「独身最後の夜だと思って、ハシゴ酒をあおり、5:30に帰ってきた。」というエピソードがある。『銀座の恋の物語』(1961年)などヒット曲を連発した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
亡くなってからすでに20年たつ今もファンがたくさんいるようです。
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